DMC-L1 + LEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm
今年で還暦を迎える母の話を、今日は少しだけ。
写真を始めて5年目になる母はいつも言います。
「なんでもっと早くカメラに出会わなかったんだろう、こんなに素晴らしいものがこの世にあるだなんて夢にも想わなかった」と。
今日も母は「Leicaは素晴らしい!Zeissも大好き!PENTAXは最高だ!」と、スクスクとカメラ病を進行させている事だろうと思います。
ネット環境の無い実家では、父が職場のPCにて様々なカメラで撮られた作例をUSBに入れて持ち帰り、晩御飯の後で二人揃ってそれを観ながら意見を言い合うのが楽しいのだそうです。
息子としては、たいへん微笑ましく嬉しい事であります。
そんな母ですが、写真の腕前はと言いますと、それがなかなかに良いのです。
上手いどうこうではなく”良い写真”を撮るのです。
それはつまり、主題がハッキリとしていて、観ていて心地のいい写真と言えば伝わるでしょうか。
そこに個性が持つ独特の雰囲気もしっかりと加わっており、僕からしても「同じようなカットは撮れないかもしれない」と感じることもチラホラ。
さて、この母のカメラ選びがまた単純明快で清々しいものですからご紹介いたします。
最低限のカメラの知識はあるものの、そもそも機械音痴で細かい操作やスペック、ウンチクの類は詳しくない彼女が、まず第一に掲げる絶対条件が一つ。
それは・・・
■全紙プリントに耐えうる画質■
これはですね、僕も含めてですが細かなスペックに振り回されたことのある方は見習いたい点です。
驚くことに母はカメラを始めて間もない頃から”アウトプット”を前提に考えているのです。
つまりは自分の撮った写真を”発表することが当然”という思想から来るカメラの選び方という事ですね。
これ以外の条件は多くの方とそこまで変わりませんが、色の良さやJPEG品質の高さなどです。
防塵防滴も含め、カメラそのものの耐久性も気にしているようですが、PENTAXを選択している限りは問題無いでしょう。
これらから僕が学んだことは、人はこういう人物の事を”写真家”と呼ぶんだろうな、という事です。
完全に趣味のレベルを超えて、自身の人生そのものにカメラを取り込み、人に作品を通して何かを伝えるという行為が当然である。
という考え。
誰でも還暦にもなるとそうかもしれませんが、母も身体に具合の宜しくない部分があります。
僕には詳しくは話してくれませんが、「カメラが生きる活力をくれている」と真剣なまなざしで言い放つあたり、一枚一枚に対する想いの込め方が強いのかも知れません。
そんな母を知る僕だからこそ、ひとりでも多くの方に写真を始めてみてほしいのです。
冒頭のカットは50㎜の単焦点を付けてα900を母に貸した時の一枚です。
「一体その画角でこの広い景色をどう撮るのだろうか」という僕の考えを「そんなのは杞憂だ」と言わんばかりに躊躇なくシャッターを切り続ける母は、何ともカッコいい背中をしているのでした。
オーゼキコーキ
【本日の一枚】
DMC-L1 + LEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm