200years:

-ozekikoki-

レッツ広報活動で賞


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DMC-LX5

 

”売名行為”っていうと聞こえが悪いのですが、”広報活動”って言えばクリーンに聞こえますかしら(笑)

ちょっと今日は写真で食べていきたい同士へ向けて、賞やその意図などについて、少しまじめに書いてみます。

 

まずタイトルの件ですが、簡単に宣言しますと、今後ゆっくり急ぎつつ写真で賞をいくつか獲らせて頂きます。

って、既に受賞してから言えば格好も付きますが、事実として特に今は無いです(笑)

じゃなきゃ面白くないですもんね♪

 

よく勘違いされている方が多いのですが、写真家になるために大きな賞をとって、華々しくデビューしたい!と思っている人、いますよね?

これについては全く間違っていませんし、否定するつもりは微塵もございません。

ただ、そこをゴールにしてしまっては間違いなく”撮り続ける”ことはできない、と考えているのです。

 

正直なところ、僕は賞というものにまるで興味がありません。

賞のためにシャッターを切ることは自分のスタンスには合わないのです。

極論、自分で「好きだ!飾りたい!」と思える写真が撮れれば良くて、もしそれを偶然観た誰かが「まぁ素敵!」ってなってくれれば二度美味しい、という感覚です。

この技術を研ぎ澄まし、高めに高めて世のため人のために活用し、感謝というお金を必要な分だけ頂ければ、毎日屋根のある暖かな場所で寝泊まりしてご飯を食べれます。

 

東京タワーを見に行った”のに”、足下のタンポポを撮っている人や、サバンナへライオンや人を撮りに行った”のに”、間違ってこぼした飲料水を大地が吸っていく様子にフォーカスを合わせる、などの人たちには理解してもらえるかもしれませんね(笑)

言葉でお伝えするのは難しいのですが、それぞれその場所の象徴物は撮ったっていいのですが、自身の周りに今起きていることも見てみましょうよ、と。

それこそがネタでありタネであり、目を開けて生きている限り絶えることのない被写体ですから。

 

つまり他人が見てもわからない事の中にある魅力に気付ける”発見力”を磨く行為が”賞に繋がる”のが理想的だと思うのであります。

 

僕やあなたが欲っするべくは”賞”や”いいね”ではなく、”ひたすら写真を撮り続ける人生”です(のはず)。

しかしこれを叶える為の要素としてそれらが含まれているので広報活動が必要ですし、ビジネスや経営にまるで興味関心がなくとも、家族のことを考えると会社設立や経理諸々も必要になるわけです。

 

ですから是非にも写真家やカメラマン(画家やミュージシャンも含む)になりたい方には気が付いて欲しいのです。

・感謝されるか否か

・お金に換えられるか否か

・その母数を増やせるか否か

・このサイクルを自身で幸せと思えるか否か

 

そんな感じです(笑)

 

僕にとって昨日までの過去は、その時々ではまるで無駄に思えても、今は明日に繋がる必要不可欠な要素を貯金できた貴重な時間だったと感じられるようになりました。

 

以前に師として3年ほどアシスタントをしたPV監督の言葉の意味を、ようやく理解したわけです。

「自分の頭の中の引き出しだけが頼り」

 

本当にその通りすぎて、しっかり理解したときには涙こそ流しませんが心は大洪水でした(笑)

 

あともう一つ。

”売れたり有名になるために何をするべきか”の問いに対し。

「まず、大きな声をあげること」

 

ですって♪

 

真理のど真ん中をバッキュンですな、こりゃ。

 

プッチャヘンズアップ!!

エビバディセイ!

コーホーホー!!!!

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】


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X-T2 + XF50-140mm F2.8