200years:

-ozekikoki-

とある友人写真におもう

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RICOH GX100

昨日は東京の自由が丘にあるバーへと仕事で伺っていました。

撮影が終わったのは19時過ぎでしたから、他にいらしていたお客さんの勧めもあってビールを一杯頂きました。

 

すると続々とバーのオーナーさんの友人がお客さんとして集まり、全く予想していなかった賑やかな夜へと変化していきましたので、僕もついつい気が付けば6杯目のビールを片手に談笑する流れに(笑)

 

オーナーさん以外とは初対面でありましたが、皆さんとても気さくに接してくださり、たいへん楽しいひと時を満喫させて頂きました。

 

ふと、一人のご友人がスマホの画面で数枚の写真を仲間に見せ始めます。

どうやらそれは5年ほど前に友人たちと撮ったものであり、楽しそうな思い出が数多く並んでいました。

「あの時はあーだこーだ」と皆さん大盛り上がり。

 

聞いてみますと、それらの写真の全てがこれまでに所有していた複数のスマホで撮影したものであり、それをGoogleドライブ(簡単に言いますと個人が持てるWEB上のデータフォルダ)に時系列で整理・保存しているとのこと。

 

僕が「おざなりにしがちなスマホ写真を、しっかり分けて保管している人に初めてお会いした」と伝えると、

「友人との楽しい思い出だから、いつでも見返せるようにちゃんとまとめている」というのです。

 

とても素敵です。

いえ、これは本来至って普通の事なのかもしれません。

ですが近年のSNS時代においては、悲しいかな”元データ”を個人がしっかり管理できていることの方が珍しく思えてしまうのです。

 

何といえば良いのでしょう・・・

写真一枚一枚に対する執着、とでも言うのでしょうか。

そうしたものへの希薄化が年々急激に増している気がしていましたから、とても嬉しいという意味での”妙な感心”を抱いたのだと思います。

 

少し別の話となりますが、

例えばスマホからのステップアップとしてレンズ交換式のカメラを購入した人が居たとします。

のちにハマっていく人というのは、画質の良さだけでなく難しさも含めて面白みを感じては、徐々にカメラの設定や撮り方の知識が付いていきますよね。

 

すると、それまでは真剣に撮ることは無かった空や風景、猫や花などを撮り始めたりします。

また、様々な書籍やインターネットで目にした写真に魅了されて模範してみることだってあります。

ノイズの少ない画質に心を奪われる人もいれば、レンズのボケ味や解像力に興奮を覚える人だって多いことでしょう。

 

ですが、もともとカメラを始める前の自分、つまり写真を”作品チック”に撮ろうと意識する前の自分が撮っていた写真を見返した時に「下手な写真だ」とか「ノイズだらけで荒いのに当時は気にしていなかったな」などの感想を持ったことはありませんでしょうか。

 

そして心のどこかで”無知な時代に撮ったダメな写真”というレッテルを貼ってしまったことはございませんか?

 

実のところ、これらは全て僕自身が一度は通過したことのある感覚ですから、全員ではなくとも、これを読んだ中の数人は心当たりがあると思います。

 

だけど

 

本当はめっちゃ”イイ写真”ばかりなんです。

 

忠実に撮りたいものが写っている写真が多く、色眼鏡をかけずに眺めれば純粋に観ていて楽しいカットで溢れているんですよね。

 

ともすれば、今じゃ知識が邪魔をして撮れないであろう写真もいっぱいかもしれません。

 

他人に”ウケる写真”という、現代特有の集団意識や固定観念は贅肉の如く無駄な知識を纏わせることも往々にしてあると僕は感じています。

 

上手さよりも良さ。

 

自分にとっての良さとは何か。

 

そうした自分だけの定規(ものさし)を手に入れられる人が増えればいいなぁ、と、改めて思った帰り道でした。

 

終電は既に走り去っていたけれど・・・(笑)

 

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】

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RICOH GX100