200years:

-ozekikoki-

知足的な写真機選び

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実のところ、ここ1年ほどの間は新製品のカメラやレンズに対してまるで心が躍らなかった。

単純に自身が写真と距離を置いていた事も重なったのだろうが、そもそも私が興味を示さない部分の進化が多いように思える。

 

最近(というか以前から表明しているが)PENTAXは光学ファインダーの一眼レフに今後も注力していくと語っている。

 

電子ビューファインダー(EVF)全盛の昨今に敢えてこうした発言を掲げるあたりが、失礼ながら可愛らしく思えてならず、私のような変わり者の心をくすぐるのだ。

とは言え心地よく”こちょこちょ”されたとしても「永遠にPENTAX一筋です」というユーザーは、現在どの程度いるのだろうか。

私自身もPENTAXの大ファンであり、一時期は仕事もプライベートも大変世話になったが、いま自宅の防湿庫にある同社のカメラはフィルム機2台と数本のレンズだけである。

「どうせフルサイズを買うならK-1にしよう」と考えているが、どうも使い道が思い浮かばないので保留中。

 

兎にも角にも、今般の『OLYMPUSカメラ事業売却』というニュースを見て、改めて現存しているPENTAXのロゴマークには大変尊いものを感じた次第である。

 

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 そんな中で本記事に載せている写真は2007年に発売された『OLYMPUS E-3』で今年の1月から3月頃までの間に撮ったものである。

象が踏んでも壊れなさそうな頑丈ボディにバリアングル×ライブビューモニター。

更にはボディ内の手振れ補正も強力であり、光学ファインダーも中々気持ちのいい広さ。

それが1万円少々で売られていたので、所有しているフォーサーズレンズと併せて使ってみたくなり手に入れた。

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結局のところ13年前のカメラを使ってのスナップは、特段不自由に感じる点もなく未だに現役で活躍できる印象であった。

当然ながらAF速度や精度など最新の機種と比べたら時代なり。

しかし使えないかと問われれば全くそんな事はない。

私は日頃より愛用のDMC-L1の井戸の底から空を見上げるようなファインダーでもMFが出来るほどに鍛え上げているので、E-3のそれならば中央から隅まで余裕のフォーカシングである・・・

などと言い出すと、20代のミラーレス世代からは”古い水夫”と揶揄されることでしょうから、あくまでも小声での発言に留めます。

いや、そもそも例えが古いな・・・。

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2020年3月11日の東京タワー

さて、E-3のAF云々についてまるで性能が悪いように受け取る方も居るかもしれないが、そんなことはない。

最新機種に慣れ切った人間が使った場合に感じるであろう印象を述べたまでである。

スムーズに素早く動作するし、快適そのもの。

 

今更フォーサーズレンズを買い足してまで”使ってみろ”などと言う気は更々ないが、優秀な描写で個人的にも大好きな『ZUIKO 14-54mm II』などとセットで入手しても2万円ちょいなのだ。

それで雨の中や砂漠でさえも使えるタフガイを手に入れられるのだから、僅かな小遣いで悦に浸るには十分魅力的な選択肢ではないだろうか。

正直このように考えると価格とパフォーマンスが不釣り合いであるから、改めてデジカメ時代の苛烈な進化劇や思潮の残酷さの様なものを痛感する。

※当然ボディもレンズもメーカーサポートがほぼ切れているので、そのあたりを気にするなら手は出さないように。

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このように今となっては「オールドデジカメ」と呼ばれるような機種を使っていると、結局のところ自分は大変安上がりなカメラ愛好家だと気付く。

このコロナ時代に”写真を撮る仕事”について改めて熟考する時間を得た事もあり、なぜ好きなカメラだけ使っていられないのかと本気で首を傾げ始めた。

 

元々が”好き”や”得意”が高じて始めたこの写真人生。

金を稼ぐことに注力しようが、徹底的に理想を追い求めようが、外野の声も届かぬ荒野に立って空を眺めていると、自分の好きな方向へ踏み出す事でしかこの旅は成立しないのだと悟る。

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必要十分且つ愛せるカメラを片手に、今後も写真を楽しみ続けられるように尽力するだけである。

こうしたカメラ機材に対する”知足”こそが写真を撮る事への集中力を上げる手っ取り早い手段なのだと想う。

 

Camera & Lens

OLYMPUS E-3

ZUIKO 14-54mm II

ZUIKO 50mm F2

ZUIKO 11-22mm

自粛期間中の筋力低下は甘く見ないほうが良い

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一昨日、数か月ぶりに近所の屋内プールへと足を運んだ時の話である。

先の自粛期間中は殆ど仕事も無く、カメラをぶら下げて外を出歩くのも顰蹙(ひんしゅく)を買うので、大人しく自宅で日々海外ドラマを見ながらビールを飲んでいたのだが、当然のようにどんどん体重が増えだしたわけで、そんな怠惰な自分に嫌気がさしたこともあって流行の糖質制限と共に筋力トレーニングに徹し始めた。

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ゆで卵と鶏肉、そして野菜をメインにした食生活は実に簡単で、今夜は何を食べようかと悩まずに済むので私の性格にピッタリであった。

豊富なたんぱく質の摂取と、自宅でできるプランクや腕立て伏せ、腹筋などの筋力トレーニングは効果てきめん。

続けるほどに憧れのヒュージャックマンの体形に近づいていく(気がする)。

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そして2か月ほど経った一昨日、いよいよ営業が再開された屋内プールへ意気揚々と足を運んだのだ。

以前は2時間ほど泳いでいたが、どうやら今は時間制限付きで1日1時間までと決まっていた。

「なんだ、たったそれだけか」と肩を落としつつも、ならば短時間でもガンガン泳ごうと念入りな準備体操を済ませ、いざ開始。

 

ところがである。

30分も経った時点で今にも左足の付け根から指の先までが攣(つ)りそうになってしまったのだ。

「そんなまさか、私は過酷なトレーニングを積んできたのだから何かの間違いだ」

と、心の中の何者かに「話が違うぞ」と何度語りかけても、現実では今にも足を攣る寸前。

そして私はまだプールの中に立っている。

どのように出ればいいのだろうと考えた。

ここで悶絶して救助されてしまっては、面の皮の薄い私はまた数か月間ここに

顔を出せなくなる。

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結局は何事もないような顔をしながら足の強張りが和らぐのを待ち、ぎこちなく水から上がり退散することができた。

 

どうやら私は上半身だけ鍛えて下半身は完全に”ほったらかし”だったようである。

せめてスクワットも加えるべきだったが、恐らく多くの人よりも日々の歩行距離が圧倒的に多かった私は、ステイホームが思いのほか大打撃となっていた。

 

そこのあなた。

『明日は我が身』という言葉を今一度じっくりと反芻していただきたい、と想う。

 

Camera + Lens

OLYMPUS E-M1

M.ZUIKO 12-40mm F2.8 PRO

LUMIX 12-32mm

RICOH GR III

 

 

出る杭は打たれるが、出ない杭は腐る

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タイトルにある言葉は、私の好きな作家『五木寛之』氏のものである。

自身の尻を叩くには最適な格言であり、これまでにも未熟ながら一歩前へと踏み出したい時などに原動力と成ってくれた。

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ちなみにこれによく似た言葉を5年ほど前に父親から言われたことがある。

『出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない』

 

「なるほど」と深く心に残ったわけだが、ふと最近になって調べてみたら、

故・松下幸之助氏の言葉であることが判った。

 

いや、父親が良いことを言ってくれた事実に変わりはなく、先述の格言と併せて私の背中を押してくれたのだから結構なことである。

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ともすれば自分にもそんな節があるやも、と思い返してみると、田中長徳氏が多用する『カメラは自分の視神経』などの言葉が、このブログの過去記事に散りばめられていて笑っちゃったよって話。

でも自身が腐らない為の手段としては大いに推奨できるのではないだろか。

その胸に在る言葉、明日にでも誰かに伝えてみようじゃないか。

 

Camera

RICOH GRIII

 

あと簡単ですが作ってみました→http://www.ozekikoki.com/