PENTAX K-3 + HD DA 20-40mm F2.8-4ED Limited DC WR
最近、パパだとか実家を題材にした想い出話が多い気がしていますが、まぁお付き合いください(笑)
ネタが無いときは想い出頼みなのです(汗)
前回の【OLYMPUS E-M10】に続く、HDD蔵巡りの第二弾と言ったところです。
このK-3は、RICOHさんに無理を言って1ヶ月ほど借用しました。
画像データを見ると時期は8月半ばで、地元青森県の早朝は少々肌寒かった記憶があります。
手っ取り早く言えば、帰省ついでに・・・失礼。
仕事ついでに帰省したということですが、上京する前には行かなかった”らしい”場所へと積極的に出かけました。
PENTAX K-3 + DA☆ 55mmF1.4 SDM
前にもお伝えした通り作例として掲載媒体の方向性に合わない事を理由に、お蔵同然の扱いをしていたデータを振り返っているのですが、こうして改めて眺めると、なんだか働いている人の姿を収めたカットが多い事に気が付きました。
18で遠く地元を離れ東京に出た僕は、無意識のうちにこの土地の”らしさ”とは、そこに住み働く人々だ、とでも感じていたのかも知れません。
PENTAX K-3 + DA☆ 55mmF1.4 SDM
少し本音を言えば、あれだけ憧れて出てきた大都会よりも、こうした地方に住み、手にした職で飯を食うほうが幸せなのではないか?と思い始めています。
その考えの根源が、元々地方出身者の血が訴えるものなのか、それとも東京で暮らすうちに、精神が本質を見据えるまでに成長出来たからなのか。
それはまだよく解りません。
テレビや友人との会話などでも耳にすることの多い「インターネットが普及した今は東京に居なくたって・・・」という言葉。
これは確かに一理あります。
実際に多くの方がネットビジネスを携えて、都会を離れていたりするわけですから。
ですが、写真を撮ることだけを考えて生きる写真人としては、そこまでカラリとした考えで行動することに嫌悪感があるのも事実。
せっかく出てきたこの都会を、被写体として捉え、さらに真正面から向き合ってからでなければ判断してはならない。と、未熟ながらに思ったりもするのです。
このK-3と共に帰省した夏。
東京に戻った僕を待っていたのは”子供を授かった”という妻からの知らせでした。
生きることは働くことであり、働くことは人のためであるべきだと思います。
しっかりと息子にも伝えたいなぁ。
写真という手段でこれらを成せたならば、この人生、誠に幸せなり。
なんてな(笑)
オーゼキコーキ