これまで押し入れへ山積みにしていた様々なカメラ関連の本がようやく日の当たる場所へと並べられました。
スライド式なので全貌をお伝えしきれないのは残念ですが、とてつもない量です(笑)
あとは座り心地の良いソファーがあれば・・・
僕は多くの写真家が出している写真集を観るのも当然好きですが、それ以上にカメラを実際に使って得た感覚を語りながら掲載している作品を、読み物として自身の心にインプットしていく作業が大好きです。
中でも好きなのが『田中長徳』氏の著書の数々。
無類のカメラ好きで知られる長徳さんですが、彼のカメラや写真に対する哲学は本当に勉強になります。
つまり、力作が並べられた写真集も素晴らしいのですが、肩に力が入っていないスナップ写真の数々こそが、僕にとっては最も撮影者の息づかいを感じられるのであります。
構図や色や知識、技術に加え意図の織り込み方などなど、そんなことを当たり前にできる人物が、まばたき同然の自然さで切り抜く写真。
そこには一切の余分なものがなく、忠実に本人そのものが表れている気がします。
何と言いますか・・・
言葉で説明するのが大変難しいのでありますがね。
近年は『いいね』だとか『シェア』といった文化に写真が活用されています。
これ自体はべつに問題ありませんし、むしろ写真を始める人が増えるのなら歓迎するべき事なのでしょうけど、正直なところ撮影者が写っていない(心や想いのようなものって意味の)写真が溢れていて、昔でいうところの『絵葉書写真』に感じます。
イケているか否かが善し悪し全ての基準であり、音楽で例えるならばサビがキャッチーで売れているなら”いい曲”と言われている感じの時代。
これは消耗文化の一種であるとしか言えません。
あくまでもオーゼキの持論ですが、一枚の生きた写真は、観た者各々が自身の記憶や知識や感情を持って、文字や言葉で語ることができる”読み物”でもあるんですよね。
いやいや、難しく語る気はさらさらありませよ(笑)
(その気になれば三日三晩寝ずに語れるが)
ものすごく簡単に言いますと、長徳さんやハービーさんやアラーキー氏の、写真に添えられている文章って、感受性を育てるための養分が半端なく散りばめられているんですよ!ということ。
なので僕は写真を撮ることと同じくらい、こうした読み物を大切にしています。
ちょっとこの辺については別の機会にゆっくりと書いてみますね。
ただ「本棚を買った」ということについて書いていたはずなのに、僕の悪い癖で中途半端に熱く掘り下げてしまうので(笑)
もう、僕ってば。
オーゼキコーキ
【本日の一枚】
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