ひたすら歩き回って写真を撮り、カフェで休憩してまた撮り歩く。
やがて日が傾いてくると「今日はそろそろ切り上げて呑みにでも行こうぜ?」という誘惑が自身の中から顔を覗かせるも、まだ手応えを感じられていない場合は「いやいや、まだまだ」と、また歩き始める。
最近になって至った一つの考え方ですが、要するにその日の早い段階で満足するようなカットがいくつも撮れた場合、きっと夕方頃の自分は簡単に誘惑に負けてしまうだろうから、このまま永遠に”簡単に撮れない”日が続く方が写真人にとっては幸せなんじゃないかということ。
時間を掛ければ良いというものではないでしょうが、それでも最もそれを割くべきは撮るという行為そのものであり、眼で見て感じて反応する状態を如何に継続させるかが重要なのだと思っています。
そういう意味で云えば、僕の撮る写真は己の感受性を鍛え続ける日々の視界を記録したものなわけですね。
写真にテーマを設けているわけではなく、行為そのものに既に価値が在るといったところでしょうか。
つまり、生理現象です。
ってことはオナラとも親戚かぁ(笑)
オーゼキコーキ