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-ozekikoki-

シレンシオ

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X100T

 

シレンシオ』

 

この言葉はスペイン語で『静寂』や『沈黙』などを表します。

調べてみますと、どうやらあのハリーポッターでは相手を黙らせるときに使う呪文のひとつでもあるようです。

シレンシオ!(黙れ!)」っていう感じかな?

 

まぁそれはそれで便利な魔法でよろしいのですが、僕はつい数日前にこの言葉を知りまして、その時に直感で思ったのです。

 

「個展や作品集を出すときのタイトルはこれで決まりだ!」と。

 

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X100T

そう決意するまでの経緯としては『シレンシオ』と名付けられた1本ワインを知ったことにあります。

そのワインのキャッチコピーは次のようなもの。

 

人は素晴らしいものに出会った時、言葉を失う。 「静寂(=シレンシオ)」

 

これを読んで「こんなにも求めていた意味の込められた言葉があったとは」と感動しました。

 

以前、ハービー山口さんの写真展『時間(とき)のアトラス』へ訪れた際も、作品を前にした僕は、この”シレンシオ”に掛かったのであります。

 

他で記憶に新しいのは、数年前にヤマグチゲンさんの写真集『PICTURES』を初めて手に取り開いた時です。

ハービーさんの時とはまた少し異なるタイプの”シレンシオ”に掛かりました。

※記事の最後に『PICTURES』のURLを貼っています。

 

僕は過去のブログでこのような事を言っていました。

「いい写真を観ると、僕が撮った写真だったらいいのに、という嫉妬を覚えます」

この想いが湧き上がるその刹那、僕は”シレンシオ”に掛けられていたという事です。

 

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X-pro2 + FUJIFILM XM-FLフィルターレンズ

人が言葉を失うときの感情は様々であり、あまりの悲しみに沈黙する時もあれば、圧倒的な素晴らしさを前に感動をして固まる事もございます。

そうした多方面の”シレンシオ”を写真で表現できたならば、懸命に写真展や作品集を出す側の立場としては感無量ではないでしょうか。

 

さて、さらっと調べた範囲では、どうやら写真集や写真展のタイトルとしてこの”シレンシオ”は使われていない様子。

これを読んで「いっただきー!」ってならないように、そこのあなたに魔法をかけましょう。

 

「オブリビエイト!!!!」

 

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】

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X-pro2 + FUJIFILM XM-FLフィルターレンズ

 ヤマグチゲンさんの【PICTURES】はこちら→

https://amzn.to/2OEamVe

 

とある友人写真におもう

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RICOH GX100

昨日は東京の自由が丘にあるバーへと仕事で伺っていました。

撮影が終わったのは19時過ぎでしたから、他にいらしていたお客さんの勧めもあってビールを一杯頂きました。

 

すると続々とバーのオーナーさんの友人がお客さんとして集まり、全く予想していなかった賑やかな夜へと変化していきましたので、僕もついつい気が付けば6杯目のビールを片手に談笑する流れに(笑)

 

オーナーさん以外とは初対面でありましたが、皆さんとても気さくに接してくださり、たいへん楽しいひと時を満喫させて頂きました。

 

ふと、一人のご友人がスマホの画面で数枚の写真を仲間に見せ始めます。

どうやらそれは5年ほど前に友人たちと撮ったものであり、楽しそうな思い出が数多く並んでいました。

「あの時はあーだこーだ」と皆さん大盛り上がり。

 

聞いてみますと、それらの写真の全てがこれまでに所有していた複数のスマホで撮影したものであり、それをGoogleドライブ(簡単に言いますと個人が持てるWEB上のデータフォルダ)に時系列で整理・保存しているとのこと。

 

僕が「おざなりにしがちなスマホ写真を、しっかり分けて保管している人に初めてお会いした」と伝えると、

「友人との楽しい思い出だから、いつでも見返せるようにちゃんとまとめている」というのです。

 

とても素敵です。

いえ、これは本来至って普通の事なのかもしれません。

ですが近年のSNS時代においては、悲しいかな”元データ”を個人がしっかり管理できていることの方が珍しく思えてしまうのです。

 

何といえば良いのでしょう・・・

写真一枚一枚に対する執着、とでも言うのでしょうか。

そうしたものへの希薄化が年々急激に増している気がしていましたから、とても嬉しいという意味での”妙な感心”を抱いたのだと思います。

 

少し別の話となりますが、

例えばスマホからのステップアップとしてレンズ交換式のカメラを購入した人が居たとします。

のちにハマっていく人というのは、画質の良さだけでなく難しさも含めて面白みを感じては、徐々にカメラの設定や撮り方の知識が付いていきますよね。

 

すると、それまでは真剣に撮ることは無かった空や風景、猫や花などを撮り始めたりします。

また、様々な書籍やインターネットで目にした写真に魅了されて模範してみることだってあります。

ノイズの少ない画質に心を奪われる人もいれば、レンズのボケ味や解像力に興奮を覚える人だって多いことでしょう。

 

ですが、もともとカメラを始める前の自分、つまり写真を”作品チック”に撮ろうと意識する前の自分が撮っていた写真を見返した時に「下手な写真だ」とか「ノイズだらけで荒いのに当時は気にしていなかったな」などの感想を持ったことはありませんでしょうか。

 

そして心のどこかで”無知な時代に撮ったダメな写真”というレッテルを貼ってしまったことはございませんか?

 

実のところ、これらは全て僕自身が一度は通過したことのある感覚ですから、全員ではなくとも、これを読んだ中の数人は心当たりがあると思います。

 

だけど

 

本当はめっちゃ”イイ写真”ばかりなんです。

 

忠実に撮りたいものが写っている写真が多く、色眼鏡をかけずに眺めれば純粋に観ていて楽しいカットで溢れているんですよね。

 

ともすれば、今じゃ知識が邪魔をして撮れないであろう写真もいっぱいかもしれません。

 

他人に”ウケる写真”という、現代特有の集団意識や固定観念は贅肉の如く無駄な知識を纏わせることも往々にしてあると僕は感じています。

 

上手さよりも良さ。

 

自分にとっての良さとは何か。

 

そうした自分だけの定規(ものさし)を手に入れられる人が増えればいいなぁ、と、改めて思った帰り道でした。

 

終電は既に走り去っていたけれど・・・(笑)

 

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】

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RICOH GX100

 

E-M5EBとのその後

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E-M5EB + LUMIX 12-32mm

今年に入ってすぐに入手したE-M5のエリートブラック。

実は出動の頻度は高めであり、早々にブログのネタにしようと思ってはいたものの、どういうわけか掲載できる程のカットがなかなか撮れずに悶々としておりました。

とは言え持ち歩いていて気分は上々。

触っていても何となく楽しいうえに、LUMIX12-32mmのブラックを組み合わせればまぁ小さい小さい。

故に連れ出すことが多いのですが、ただ結果として現れないということです(笑)

 

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E-M5EB + LEICA D SUMMILUX 25mm F1.4

さて、これから言う事の全てが”今更”なのは承知の上でありますが、まだまだミラーレスの駆け出し期と言える2012年に出てきた機種とはいえ、今でも全く不自由なく使える完成度の高さには関心するばかりです。

 

僕のm4/3歴は、レビューなどの仕事で使ったものを除いては個人的にLUMIX機を使うことが多く、OLYMPUSの機種では唯一E-M1だけ所有していたことがあります。

 

そのE-M1も動画の仕事が増えた折にGX7へと買い替えてしまい、今考えると実に惜しい事をしました。

手元に残しておけばよかった、と。

(買い戻したい願望が最近フツフツ(笑))

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E-M5EB + LEICA D SUMMILUX 25mm F1.4

自身がバリアングルよりも、光軸からズレない上下チルト式のモニターが好みでありますから、間違いなくそのうちE-M1も買い戻してしまうはずです。

現行機ではPEN-Fも含めて同社の上位機種は軒並みバリアングル化しておりますから、加えて像面位相差AFも使いたいとなれば、これはもう一択なのでしょうけども。

はぁぁ、我ながら本当にカメラ好きな小僧であります。

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E-M5EB + LEICA D SUMMILUX 25mm F1.4

他にも嬉しい事と言えば、フォーサーズ時代のLEICA DレンズをDMC-L1比で倍以上の画素数で味わえることですね。

E-M5ではシャープネスを最大に落とした『-2』の設定にしていますが、それでもカリカリしちゃうほど解像力が高いです。

ただm4/3用のLEICA DGシリーズとは明確に異なる独特の諸収差が立体感を付与してくれる気がいたします。

この場合は結局デカくて重くてAFも激遅なのですが、まぁ楽しいのでOKです。

 

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E-M5EB + LUMIX 12-32mm

僕にとってこのように様々なカメラと戯れる時間は仕事と同じくらい大切な時間だったりします。

 

頭と心が最もリラックスしている状態と言えるかもしれませんね。

更に気に入った写真が撮れようものなら疲れやケガが吹っ飛んでしまうほど気分が高揚します。

ざ、残念ながらE-M5ではなかなかどうして味わえませんが;

でも気に入っているので良しとしています。

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E-M5EB + LEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm

デジタルテレコンを使って600mm相当で撮るのも楽しめます。

FUJIFILMのレンズ交換式の機種では(たぶん)無い機能ですから、これまた今更ながら「いいじゃんいいじゃ~ん」って使ってます(笑)

 

こんな感じが僕とE-M5(EB)との現状の付き合いです。

ここまで読んでいて「EBってわざわざ付けなくても・・・」と思う方もいるかもしれませんが、コレは僕にとっては重要な違いなのです。

なんたってエリートなブラックですからね!!!

通常のブラックとは面構えも質感も天と地の差でイケてるのであります!

(๑•̀д•́๑)キリッ

 

【本日の一枚】

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E-M5EB + LUMIX 12-32mm