200years:

-ozekikoki-

調律師という仕事


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RICOH GX100

 

皆さんはピアノの「調律師」という職業をご存知でしょうか。

僕が初めてその存在を知ったのは今から6年ほど前のこと。

 

当時カメラよりギターを持ち歩くことが多かった僕は、このピアノの調律師を母に持つベーシストと知り合い、そんな職業が在るのかと驚いたものでした。

 

先日、とある新宿の高層ビルの一階ホールに置かれているグランドピアノに向かう、エプロン姿の男性に目が留まりました。

「お、あれはもしや調律師さんでは?」と、そろそろと近寄り「少し観ていて良いですか?」と話しかけてみました。

しばらく見学させて頂くと、その迷いのない手の動きはまさに匠。

まるで往年のクラシックカメラを的確に修理作業する技師をも見ているような感覚であり、次第に尊敬の眼差しで魅入る自分がいました。

 

彼は幾度も鍵盤を指で叩き、僅かな音の差を調節していくのですが、後に問うと全て耳の感覚だけとのこと。

確かに辺りには音を合わせるチューナーの類は無く、有るのは調節用の特殊器具のみ。

 

「あぁ、なんて素敵な職業だろうか」と、感心するあまり写真を撮らせて頂くのを少しの間忘れていました。

ようやく「お邪魔はしませんから」と許可を頂き何枚か気になる所を撮影しました。

 

この繰り返される作業が、シャッターを巻き上げてはレリーズし、その幕速が適正か否かを耳で判断するベテラン技師となんとも重なるのです。

(さっきからカメラ修理技師ばかり引き合いに出しスミマセン;写真人なもので・・・)

 


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RICOH GX100

最後に礼を言って立ち去ったあとで「これは近いうちに、じっくりと撮りたいな」と、新たな題目の発見を嬉しく感じたのでした。

 

いつ頃からかはっきりとはしませんが、カメラが自身の五体同様の存在であると認識できてからと言うもの、所謂”匠”と呼ばれる職人姿に強い関心を覚えるのです。

例えば、老舗クリーニング屋のアイロン掛けや畳を作る職人然りです。

 

何にも言えることかもしれませんが、やはり興味を持つということは、それだけで誉めれたものだと感じており、それと何を持ってどのように対峙するかを考えたとき、自分にはカメラが在るわけで、これは大変に幸せなことなのだと想うのであります。

 

さて、撮りたい(作りたい)テーマがどんどん揃っていきます。

仕事を言い訳にせず、その合間にしっかりと作品を完成させねば、と、今日も自分の尻をポンと叩いてみるのでした。

 

自分が子供の頃、”公務員になることが誇らしいことだ”との、妙な風の噂に幼いながら疑念を抱き続けていました。

様々な選択肢や可能性があり、夢を”目標”と呼べるのだと言うことを息子には伝えていきたかったりします。

 【少年よ大志を抱け!】という名言が存在するわけですが、これには二面性があり、誤った解釈のままでは”抱くだけ”になると考えます。

これは僕なりの解釈ですし、長くなるのでまた別の機会に書くとしましょう。

 

ユーチューバーが職業と呼ばれ始めた辺りから、何となく子ども達の思考に変化が出てきた気もしますがね。

まぁ、履き違えないようにサポートするのも親の役目でしょう。

うわ、今日の僕、ちょっぴり大人じゃん(笑)

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】


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RICOH GX100

 

 

そういえば【KPの世界】展を観に行った感想をば


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RICOH GX100

 

当日にすぐ書こうと思っていて、ついつい忘れていました。

先日まで新宿のリコーイメージングスクエア(僕は今もペンタフォーラムって呼んでますが)で開催されていた【PENTAX KPの世界】なる写真展に行ってきました。

低感度から高感度まで様々な作品が大きく引き伸ばしたプリントでずらりと飾ってあったわけですが・・・

 

結論から言いますと、僕のKPへの購買意欲はグンと下がってしまいました。

よく勘違いする方がいますが、僕はPENTAXが大好きですけど、信者と呼ばれる部類のファンとは少し違うと思ってるんです。

良いものはイイと言いますが、逆も然りなのです。

 

このPENTAX KP、高感度のKとして売り出されていますが、作品を観た限りでは、あくまでも個人の意見として”全く賞賛に値しない”と感じました。

 

確かに輝度ノイズや色ノイズ自体は少ないかもしれませんが、だからといって良い画質とは呼べない画作り。

なんか、こう・・・なんて言うんでしょう・・・

物凄く失礼な比喩かもしれませんが”コンデジっぽい”んです。

写真は素晴らしいものが多いのですが、ノイズの消し方といいますか、ディテールや階調が潰れているように見えるのです。

それによって写真そのものが曖昧な印象になっており、人が撮った感が薄いと言いますか・・・。

難しいんですけど、とにかく「これ本当にAPS-C一眼レフで撮ったの?」と言うのが本音です。

じゃあ低感度はというと、これもまたかなり首を傾げるものでした。

シャキッとしないし、まるで分厚いローパスフィルターを積んでいるような、そんな印象です。

複数の写真家さんによる作品展ですから、設定や現像手法によってそれぞれ変わってくるのでしょうけど、一貫してこの印象が付きまとうので、どうやらKPの持つ性格であると感じざるを得ません。

 

スクエアをでる頃には胸にぽっかりと穴の空いたような気分でした。

 

ちなみに。

これより少し前の6月に同所で開催されていた『久保田友惠』さんの写真展【最果ての氷界】を観たときは本当に感動しました。

使用機はK-1に加え、なんとK-7です。

K-1の出力する画が圧倒的に素晴らしいのは勿論のことですが、最も衝撃を受けたのはK-7のプリントです。

 

長くK-7を愛用している身として、ブラインドテストされても99%判断できるほど特徴的な写りをするカメラであることは理解しています。

しかしお恥ずかしながらこれまでA3以上に引き延ばしたことがなく、目の前にある大きな大きなK-7のプリントには感動で開いた口が塞がりませんでした・・・。

実に美しい粒状感であり、また繊細な色を繋ぐ階調表現が妙にリアルで目が釘付けになりました。

 

この後に観に行ったのが【KPの世界】でしたから、余計にその差が気になったのかもしれません。

 

最近水準器が狂いだしている僕のK-7。

修理してまだまだ使おうと思いました。

 

それにしても画像処理って奴は必ずしも進化しているとは言えないもんです。

画像データとして見れば、まぁ最新の方が優秀かもしれませんけど・・・

 

ん~、時代っすかね。

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】


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RICOH GX100

 

いつか自分のスタジオを持ったら犬を飼おう


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K-3 + FA☆ 28-70mm F2.8

 

今日の撮影現場にはワンちゃんが一匹おりました。

もうずっと癒されっぱなしの最高の時間でした(笑)

 

彼は9歳とのことですから、まぁ”ワンさん”ってお呼びした方が良いですかね。

 

僕が機材を出す度に「何それ!?オモチャ?」みたいな表情でクンクンしてくる様子は、少しだけ息子とかぶりました。

 

おおらかな犬が一匹居るだけで、不思議とすごくリラックスできましたし、僕の撮影する様子を、横で首を傾げて見ている姿は実に賢さが漂っており、もし自分の犬なら「ねぇちょっとレフ板持ってて」と頼んでしまいそうなほど(笑)

 

いつの日か自分のスタジオやオフィスを持ったら犬を飼おうと決めた日となりました。

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】


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RICOH GX100