200years:

-ozekikoki-

思考深度

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これを読んでいる方の年齢にもよりますが、最近身の回りで「ひろゆきが言ってた」や、「(メンタリスト)DaiGoが言ってた」というフレーズをよく耳にしませんか?

 

約20年前の「テレビでやってた」と置き換えられる程に現代の隠れた流行語かもしれません。

 

これはYouTubeを普段から観ていない方々には「なんのこっちゃ」な話ですので、めちゃくちゃ簡単にこの2人の人物を説明しますと、庶民の平均よりも遥かに高い"富と知を併せ持つ人物"であり、それを個としてのセンスまたは努力で獲得したという共通のキャラクター性を持っています。

特に支持を集める背景としては、会社勤めが当たり前ではなくなった現代だからこそ、先駆けてそれを成し遂げた彼らはそのパイオニアであるとも言えるからです。

私たち視聴者の大多数がこれを認識しているので、彼らの発言・発信はかなり高い位置から投げ降ろされた鉄球の如く、容易に打ち返せるものではありません。

 

と、まぁ彼ら2人を知っている方々からしても、この紹介内容はご納得頂ける範囲ではないでしょうか。

 

さて、ここからが本題です。

例えば彼らのうちどちらかが「こういう返答するやつはバカで無能だ!」または「こんな特徴が当てはまる奴はメンヘラだから気をつけろ!」と言えば、それを視聴した人の殆どが『へーそうなのかぁ』と、知識として取り入れる構図が出来ていると思います。

 

もしここで、「いやいや、一括りにするのは駄目だ」と、数人の視聴者が言ったとします。

 

すると彼らはこのような返答をするかもしれません。

「そういう奴である"可能性が高い"と言っているわけで、必ずとは言っていない。しかもこれは僕自身の考えではなく研究や論文として世に出ている信頼出来るソース元からの情報だ。」

 

こうなりますと、反論するにもそれなりの見識と証拠を持ち合わせないと太刀打ちできませんよね(笑)

ですから個人の感覚だけであったり、友人知人数名の輪の中で「なんか違うよね」となっても、論争の材料としてはあまりに脆弱となるわけです。

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僕自身も彼らの発信する動画などはいくつか視聴しており、実際に興味深い内容や知らなかった研究結果などに驚く事もあります。

ただその中で語られることの多くは、大雑把に言えば実験や研究から提唱された”科学的根拠”に基づくものであり、もしそこに違和感を覚えた場合は思想や哲学の側面からの視点も併せつつ、各々がしっかり咀嚼して飲み込む必要がある気がするんですね。

 

少し前に、知人との会話の中で次のようなやり取りがありました。

その話の主な内容は『将来自分はこう成っていたい』というもの。

お酒の席でしたが、こうした話を真剣に語られる方も最近では珍しく感じたので、しばしば付き合う事にしました。

すると徐々に会話の流れが”幸せとは何か”といった哲学的なものに変化してきた事と、一般的に僕は珍しい部類の職業ですから、物事の考え方や捉え方について聞かれたので、僕は今この瞬間に決定し起こす行動の自分なりの原理原則は、過去100年と未来100年の計200年寿命という考えを基にしている、と話しました。

過去にブログでも触れましたが簡単に言えば、これまでの100年が在るから今の自分が存在し、その自分が向こう100年を創り出していく。つまり30歳でも60歳でも80歳になっても、これに基づく事で自身の知や経験を自らが過大評価するような傲慢さを捨てて新たな学びと努力を常に怠ることなく継続できる、というものです。

 

そしたら突然その彼が心配そうな表情でこう言いました。

「過去と未来に意識を強く向けすぎると幸福度が下がるってメンタリストDaiGoが動画で言っていたので心配です」と・・・。

 

僕はびっくりして吹き出しそうになりました(笑)

いきなり心配されだしたので笑ってしまったのと、僕もその動画を観たことがあったため、恐らくこの方は内容を履き違えていると感じたのです。

 

「あーそれ観た事ありますよ。たしかあれは、過去の嫌な経験から未来に不安を抱き、それに基づいた行動や考えをしてしまうから、本当はそうじゃない事をわざわざ案じて今に下す決定がその人の人生そのものの幸福度を下げるという話じゃないですか?それで言うと僕の話した内容は”成し遂げたい”という強い意志から生まれた思想や志としての根幹を述べたわけですから、当然失敗から学んだ事を回避に使うものの、更に多くを学び続けて自分なりの手法でそれを具現化しアウトプットを続けるというものなので、今も今後もこれを続けられたら幸せですし、ご心配なさらなくて大丈夫ですよ(笑)」

 

彼は自身の顎を指先でトントンして天井を見上げながら「あーなるほど、そうかそうか」と納得してくれました。

きっと僕の知る限りでの彼の性格上、素直に僕を心配してくれたのだとわかりますし、むしろそのように言葉で伝えてくれて嬉しいくらいです。

 

ただやはりこうした論文や研究結果などの難しい内容を人が数分の動画からサクッと受け取る事はそう容易ではなく、本でいうところの背表紙タイトルや帯に書かれた太字の数行が印象に強く残るのと似ているなと感じるわけです。

ですから、たとえ何れ大衆が盲目的に頷く事象があろうとも、自分なりに味わい噛み砕き飲み込むことは必要だと考えます。

 

なんでもかんでも深く考えるのもどうかと思いますが、現代は個人の頭の中を容易に発信し、それを大多数の人がキャッチする時代です。

少なくとも誰もが自分しか知らない時間を過ごしてきていますから、それ故に感じた違和感や疑問に対しては、なるべく正面から向き合ってあげる必要があるのではないでしょうか。

 

知らない顔のうごめく雑踏の中で写真を撮っていると、ふとそんな事を想います。

 

オーゼキコーキ

 

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