GXR + MOUNT A12 + Zeiss Planar 50mm F1.4
拝啓 -
今朝もまた、最低最悪の目覚め方でした。
慌てて青森に住む両親へ連絡するも、テレビを付けていなかった父は普段と変わらず、ただ仕事へ出掛ける準備をしていました。
実のところ、これまで何度もこの話題に触れようとしたのですが、情けないことに何も書けずにいました。
このブログは”僕らを幸せにするカメラとの日々”を発信する場所です。
僕が写真を楽しみ、カメラを愛し、これによって得られた幸せを綴る場所なのです。
その中に”既に戦争が始まっている”と書いてしまっては、その後ここで何を言えばいいのか、何を撮り伝えるべきなのか、判らなくなる自分がいました。
恐いのです。
経験したことのない”戦争”というものが。
まだまだ未熟とは言え今日まで、もがき苦しみながらも、なんとか理想とする人生を手にしようとコツコツ繋いできた明日を、一刀両断する”戦争”が恐ろしくてなりません。
どうか、愚かなミサイル発射を辞めて頂きたい・・・。
こうしてブログを書いている僕は、空を飛び多くの人を守れるスーパーヒーローに変身することは愚か、日々の途方もない鍛錬により”自衛”の為に強化した思考も肉体すらも持たない民の一人です。
ですが、何も”しない”のと”できない”とでは大きく違うと感じましたので、今日はこの件について触れることに致しました。
それは一つの考えに至ったからであります。
『明日を信じ、今日を生きる』
今朝、まだ上空を飛ぶミサイルが、どこに墜ちるかも不明な中で「また掛ける」と電話を切った父の声。
もしかすると、それが最後の会話になった可能性が大いにあったわけです。
これで気が付きました。
失いたくないから写真を撮っているのです。
僕の場合は、ですがね。
いつか訪れる”別れ”というものを潜在的に意識していて、それが命であったり出逢いであったり様々ですが、いつまでもそこに存在し続ける事は無いと知っているからこそ、僕は写真を撮るのだと気が付いたのです。
ですから既に突入している”戦争”を”認識する”という意味で受け入れ、自分に与えられた今日という時間を繋いで行くのだ、という”決心”を武器に、明日も明後日も写真を撮ろうと思いました。
愛でよ撮ろうよ、この一瞬を。
国際法上では、自衛隊員の方々は”戦闘員”として扱われることは知っております。
ですが、どうか心より明日への守備をお願い申し上げます。
敬具
オーゼキコーキ
【本日の一枚】
SONY RX100