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-ozekikoki-

デジタルエシックス

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DMC-LX5

今朝、起床してすぐに自宅の本棚から一冊のムック本を手に取りました。

これは自身の寝ぼけた脳を起こそうとする日課のようなもので、冬ではありますが冷蔵庫から取り出した作り置きの麦茶を飲みながら、カメラ関連の本を読むのです。

 

何も考えずに背表紙を見ながらスッと引き出したのは『Nikon D100 WORLD』

 

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我が家の本棚は、メーカーや年代を問わずに様々なムック本が並んでおり、これに勝る本屋さんは日本中どこを探してもそうは見つからないでしょう。

さて、このNikon D100という機種は皆さんもご存知の通り2002年に発売されたとても古いデジタル一眼レフカメラであります。

APS-Cの610万画素CCDセンサーを搭載し、”デジイチの入門機”などと言われつつも当時で約30万円もした機種です。

 

この上位機種としては同社のD1シリーズが(約60万円ほどで)出ていたくらいで、ほんの僅かではりますが、アマチュアがデジタルに手を出せるようになってきた時代のカメラです。

 

今日はこのD100について掘り下げるのではなく、この本の中に見つけた”デジタルエシックス”(DEP=デジタル・エシックス・プロブレム)という説明書きが興味深くて書いてみることにしました。

 

以下、同書より原文のまま抜粋ー

 

【デジタルエシックス

 エシックス(ethics)とは倫理という意味で、DEP(デップ)は「デジタル時代の報道写真に関する倫理問題」である。

 デジタル画像の大体は電気信号であって、だから画像の複製・修正・加工が非常に容易であり、しかも痕跡が全く残らない性質がある。

こうした容易さが画像を扱う者をつい”ふとした出来心”へと誘う力になることは確かだろう。

 もちろん、銀塩写真において、こうした画像処理がまったく行われなかったか、というとそうではない。

現にトリミングや露出補正や覆い焼き・焼き込みなど、必要不可欠な画像処理は行われ続けている。

しかしながら、こうした報道倫理に対するデジタル化による問題は、その容易さと高精度さが、熟練した技能を必要とせずに可能になることによって生じるものとなるだろう。

 人は熟練する過程で、その作業に対する職人的誇りを身につけてきたものだが、デジタル化はこうした熟練をほとんど必要とせずに多くの作業を成立させるに至っている。

これは、プロの記者による問題だけに決してとどまらず、写真を作り得る一般市民の問題へと拡張するだろう。そして、次の問題は、およそ写真の信憑性自体への疑問となって現れるかもしれない。

 これは画像加工にとどまるものではない。ほぼリアルタイムで結果を確認できるデジタルカメラによる撮影はそのままでは緊張感をなくしたものになりやすく、さらにフィルム枚数の制限がほとんどないためにビデオのような連続撮影が可能になることで、一枚一枚への執着心を喪失させているのではないか、といった危惧もある。

 写真のデジタル化は、多くの問題をはらみながら、これからもますます進展していくだろう。

だからこそ、とりわけ「真実」と連携を組むことが存在理由になりえた報道写真は、より深い(そして素朴な)問題と取り組まなければならなくなっている。

 

以上

 

コピペではなく、一字一句違わぬように本を片手に打ち込んでみました。

筆者の名前は伏せますが、皆さんはどのようにお感じになられましたでしょうか。

 

画像データの”信憑性”を保持する取り組みなどについて、私自身あまり詳しくはなかったものですから(OLYMPUSの工一郎とかにそういう機能があった気がするなぁってくらい)、ある程度の知識が無ければ判断しかねると感じ、調べてみることにしました。

 

例えば工事現場で使用される『OLYMPUS工一郎』のTG-1モデルなどでは『RAS暗号』などを使って画像データそのものに判定データそのものを暗号化して埋め込んでいたり、現在では『SD WORM(ワーム)カード』という特殊用途の製品が警察でも導入されているようです。

 

あくまでも特殊用途というこで一般のユーザーは購入できないとのこと。

サンディスクの改竄防止メディア「SD WORM」が警察庁に採用 - デジカメ Watch Watch

 

このD100のムック本に書かれている『デジタルエシックス』についての文章を初めて読んだときは「製品の購買意欲に訴求するための本の中に、ずいぶんと大胆なことを書いたものだ」と思いました。

 

しかし調べた上でよく考えてみますと、この筆者が言いたかった事や伝えたかった事への理解が深まってくるのです。

特にここで挙げられている”報道写真”においては、やはり”真実”でなければならないわけですから、フィルムからデジタルに切り替えるカメラマンがチラホラと現れ始めた当時は、一部の人々にとっては決して穏やかなものでは無かったのでしょう。

 

ましてや現代は急激にインターネットが普及し、たとえ偽物の写真であっても「本物だ」という数が多ければそれがまかり通ってしまう時代です。

これはもはやフィルム・デジタルの話を超えた問題だと感じます。

 

今後も姿かたちを変えながら水面下で続いていくであろう”デジタルエシックス”。

本文から本質的なものをピックアップするならば『職人的誇り』という一文に凝縮されている気がいたします。

 

結局は”誠実な撮影者”の存在が最後の砦なのであります。

 

 

オーゼキコーキ

 

【本日の一枚】

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