200years:

-ozekikoki-

時代がそう云うのです

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CASIO EX-P600

この頃は仕事の上で諸々と学ぶ必要もあり、集中的にTikTokを視聴しております。

大量の短い動画を”わんこそば”よろしく次々と観ていくのが主なスタイルのようです。

 

余韻や機微を感じ取る時間は極めて限られており、昭和生まれの一人の表現者としては恐ろしさすら覚えます。

 

ただこれを突っぱねてしまってはそこで試合終了でありますから、視聴者がどのようなトランス状態の中で、何をどこまで楽しみと感じているのかも含めて知る必要があると思い勉強している次第です。

 

レンジファインダーと一眼レフ、一眼レフとミラーレスなど、カメラ製品における数十年を振り返るだけでもAとBの選択肢には勝敗が存在しますよね。

コンデジとスマホにしたってそうです。

 

”時代がそれを選んだ”という言い回しをする写真家もいます。

 

僕が10代の終わりに学んだ映像制作において最も重要視されていたのは、簡単に言うと脚本や台本に込められたメッセージを、多くの人の手で汗水を垂らしながら観た者の感情を揺さぶる”作品”へと昇華させるというものでした。

 

あの頃は現在と比較すれば、まだまだ映し出される映像(データ)そのものの美しさというのは解像度の面で圧倒的に劣っておりましたから、『美』は『本』に宿っていたと言っても過言ではないと思います。

 

当然ながらTikTokのような数秒の映像コンテンツは太い幹から枝分かれしたうちの一つにしか過ぎませんが、それでも時代を代表するプラットフォームであり、そこには映画の配給会社も驚くほどのお金が動いているわけです。

 

今日はそんな新時代の大海に放り込むべく、一本の動画を撮ってきました。

なるべく力を抜き、くだらなさと面白さを自分なりにブレンドしたつもりですが、果たしてどうなることか(笑)

 

なんにしても言える事でしょうけど、とりあえず「〇〇は、こうであるべきだ!」みたいな凝り固まった考えは思い出BOXにでも放り込んで、使えるところだけを都度取り出すのがベストに思いますね。

 

吉田拓郎の『イメージの詩』に習うなら、新しい海のこわさを知った上で覚悟を持って飛び込める、いつも新鮮な心の水夫であろうと思います。

 

でも・・・

オーゼキオジサンの作った動画がスベッた時は誰か慰めてくだちい。

 

あのね、本当にこわいもんなんですよ(笑)

 

オーゼキコーキ

 

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